雪組『ベルサイユのばら』感想②

前回の続きです。

zukapp.hatenablog.com

 

観劇から一晩たち、未だ余韻に浸っているというか、なぜか昨日よりも強く朝美オスカルが脳裏に張り付いています。

私結構今までは、なんとなく楽しめれば良いかなーって感じで舞台を見ていたんですが、今回はしっかりと登場人物の心情や表情などを考えながら観劇したんです。

そうしたら、なぜかオスカルが頭から張り付いて離れなくなりました。

ベルばらがこんなに辛い作品だとは知らなかった。

 

 

愛とは、優しさとは、正義とは

ベルサイユのばらは「愛」が軸となっている物語。

そして、登場人物のすべての行動は「愛」「正義」「優しさ」によって突き動かされるのであり、それによって物語が進行していきます。

激動の時代を生きた男女の残酷な人生の一端に触れ、愛とは、正義とは、優しさとは何なのだろうと、答えのない問いに頭がぐるぐるしています。

 

アンドレの愛は「自己犠牲の愛」。

オスカルのことを愛しているからこそ、彼女の幸せを一番に考えているのだろうと思う。

アンドレの行動は全てオスカルのためである、と言いきれていしまうほどの愛。

身分の違いを案じて自分は彼女の相手になるべきではない思っていたり、フェルゼンにスウェーデンに帰る前にオスカルに声をかけてほしいと頼んだり、目が見えなくなっているのにオスカルの身を案じてパリ進駐について行ったり、最期の一言までオスカルを思った言葉だったり。

自分よりもオスカルのために、がベースになっています。

 

一方でフェルゼンの愛は「一直線な愛」。

舞踏会でマリーに一目ぼれをしてから、マリーの立場も顧みずに恋人になる。

オスカルにスウェーデンに帰ってほしいと言われても、それは無理だと言う。

マリー処刑のときもマリーの確固たる決意があるにもかかわらず、国外逃亡させようとする。

全ての行動が、自分の感情ベースで動きます。

 

正反対な愛のカタチなのに、両方とも理解できるし、どちらが正解ということでもないでしょう。きっとオスカルもマリーも幸せだったと思うから。

愛の意味と価値はどんな形にもなれます。だからこそ、フェルゼンは「形がないからこそ信じられる」と言ったのだと思う。実態のあるものだったら形が変わったらもうそれではないから。

ただひとつ、「愛あればこそ」とはよく言ったもので、愛が生むエネルギーは私たちの想像以上であり、人の思考回路、行動すべてを把握してしまうしてしまうものなのかもしれない。

 

オスカルは自らの貴族としての在り方を考えて、近衛隊から衛兵隊へと転属を願い出ます。彼女はマリーアントワネットの側近ではありますが、彼女の根底に流れているのは愛すべきフランスを守るという強い使命感です。

だからこそ、身の危険を承知しながらもパリへ進駐します。

バスティーユでは貴族の称号を一切捨てて、民衆と共に祖国のために戦います。これが彼女の「正義」です。

そして最期は正義に倒れて死んでいくんです。

正義を貫くために死ななければならなかったなんで理不尽じゃないですか。

でも、例えばオスカルが衛兵隊に行かずに、民衆側につかずに、王妃の近衛隊として全うするという選択をしたとしてもそれも正義なんです。

だから、ブイエ将軍が民衆を撃てと言ったのも、それは彼の正義があったからだと思うんです。

立場が少し変わってしまうだけでも正義が変わってしまうこともあります。

誰かにとっての正義は、誰かにとってはそうでない。

正義とは虚構なんですかね?

 

ルイ16世は不倫をしていたマリーを決して怒らないし、しまいにはフェルゼンにフランスに残ってくれないかと頼むことまでします。

一見ただの気弱な人なのか?と感じますけど、実はこれってすごいことで、この心に触れて、マリーは改心するんですよね。

まさに北風と太陽みたいなことで、最後に人の心を動かすのは「優しさ」なのかなと思いました。

 

まあでも、そもそも優しさってなんなの?っていうのは難しくて。

メルシー伯爵はマリーがオーストリアからフランスに行く時に彼女からステファン人形を取り上げました。

これってある意味「優しさ」だと思うんですよ。

マリーが、立派な大人として、王妃になれるように。

でも結局はマリーが「このお人形が私で、私がお人形だったのですね」と言うように、人形と同時に彼女の個人の尊厳は奪われて、彼女は"人形"と化すわけです。

最後、メルシー伯爵が人形を返しに来ますけど、あのシーンは号泣もの。

メルシー伯爵の深い後悔とこんな結末を迎えてしまうことへの悲痛な思いが伝わってきました。

愛していたからこそした優しさが仇になることもあるし、誰にとって何が優しさなのかも答えがない。

だからこそ、人間は苦しむのだと思う。

 

今の日本は平和だけど、この平和は多くの犠牲の上に成り立ったものであるし、その裏には一人一人の人生があったことを忘れずにいたい。

 

彩風咲奈の美しき宝塚人生

ベルばらに憧れて宝塚を目指した少女が新人公演でフェルゼンを演じ、そして最後にまた、フェルゼンを演じて退団していく。

これほど美しいストーリーってありますか??

咲さんの音楽学校のポスターで「あなたが、誰かの夢になる」って書いてあるんですけど、これエモすぎですね。

今まさに、咲さんがきっと誰かの夢になっているんだろうなと思う。

夢に突き進むって偉大で、私自身、夢があって今はそのスタートラインに立てたくらいなんですけど、夢のためだと思ったら本当に頑張れるんですよ。

誰かが一生懸命頑張る姿って本当にかっこいいし、夢に向かって突き進むことで得られることが沢山あると思うんです。

だからこそ、夢を与える仕事って素晴らしいと思うし、私自身も夢を与えられる存在でいたいとも思っていて。

そうやって繋がれていく思いが、これからの世界を創っていくんだと思います。

 

これからも宝塚が夢を与える場所であり続けることを祈っています。

 

別記事で英語訳出しておきます。